ワレンベルグのパート生活(脳梗塞の狂想曲)

ワレンベルグ症候群(脳梗塞の一種)の後遺症に抗いながら再就職、パート勤務

2日が初日の第二章、脳梗塞からはや16ヶ月め

2022年大晦日脳梗塞(ワレンベルグ)で入院、本家ブログはこちら脳梗塞 ワレンベルグな日々
結果、無職となり再就職が果たせたのは、今年2024年2月14日から、そして3月末で契約満了。

2日の今日が、パート勤め第二章の仕事初日である。昨日4月1日月曜日は、部署が休日のためである、第二章は変則勤務で月曜のみが固定休、しかも服装はカジュアルに、という自分にとってのシン・働き方である。その門出に相応しく晴れている。
第一章とは違う勤め先、初出勤のクルマ運転はどうしても早めになるはずだが、意外と遅れて20分前に到着し、初めまして、お世話になります、の挨拶をしながら落ち着きなく建屋の中、事務室へ入る。
パート勤め(の初日)も2回目だが、これから少なくとも一年はお世話になる!というプレッシャーが、やはり第一章とは違う朝である。リラックスリラックス!と心の中言い聞かせる。
シフト勤務があるので、職場全員への挨拶はお昼前であったが、それまでの間の2時間くらいで、早々に覚えきれないくらいの仕事やルールを複数人の先輩から教わっていた、挨拶はもうほぼほぼ主だった人と交わし終えていた感じ。
座っての作業、PCを操作する作業、清掃、立ってする作業と目まぐるしく変わるも、初日はそれほど重労働感は感じない。そこは第二章。一章の仕事慣れの成果か。
気疲れするかなと思ったが、気がつけばあっという間の7時間勤務だった。

ただし、覚えないと(理解して覚えないと)いけないことだらけ、マンツーマンで先輩のパートさん達から手とり足とりの初日、汗、焦り、第一章と業務内容はガラッと変わった。
なので気は張り、頭はフル回転していたはず。でもそこまで疲れは残ってない。
おそらく、この仕事(つまりは「本」に触れていること)が喜びなのかもしれない。
あるいは、笑顔を見ているから、、第一章が割と黙々と個人作業で完結していたのが、今回の仕事は、口頭でのやり取りや確認、連携、笑顔で頻繁に意思疎通される感じなのだ。
これが、良いか悪いかは分からないが、何かを与えられる感じで、刺激なのかもしれない。
パート同士だけでなく上司の方が、結構目を配っていてくれて、次々にパートさんに指示を出して、自分ら新人パートに何かをさせてくれようとしたり、自ら仕事をオーダーしたりと、ともかく、名前を毎30分以内に呼ばれていたような感じ。うれしくもある。
自分のペースで何かしたという仕事はほとんどなかった、教わりながら頭と体を次々動かして、気がつくと時間が過ぎていたという感じ。

この記事のとおり、第二章の前、第一章は無事終わったが若干体調面で懸念があった、

情けないが帯状疱疹がまだ治りかけ、結構プレッシャー無く過ぎたような第一章も、何やかや最初はストレスがあるんだなと覚悟していた。
が、何の何の、第二章初日は症状のことを思い出すこともなく、怒涛の様に終わっていた。

2日目は、朝から思いっきり雨風。
おまけに、午後からは別のホールで、辞令交付式に出ないといけない。憂鬱。

スーツネクタイ着用、この日だけ。この日に限って、、この空だ。
しかも、昨日に増して仕事は次々に。嵐のように2日目も過ぎていったのであった。

帯状疱疹はもうほぼおさまってきた。蒸し暑い中、午後、ネクタイが鬱陶しい。
雨風にも少し打たれ、疲れが出た、流石に、帰宅後、少し横になった。
しばらくはこのペースに慣れるまで、体を休める時にきちんと休める。

働く形は、いろいろだ。

いい意味で、がむしゃらに戻ったかも、理屈じゃない。

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第二章、始まったばかりである。次の休みは土曜。日曜は出勤である。