概要
脳梗塞から2年8ヶ月。
お盆明け、仕事の忙しさと通院(体重管理のしばり)という日々が続いている。
回復の兆しが見えない後遺症とともに迎える3度目の夏。
仕事がリハビリ、脳梗塞の狂想曲。
2022年大晦日に脳梗塞(ワレンベルグ)で入院4ヶ月、本家ブログはこちら脳梗塞 ワレンベルグな日々。
退院後しばらく自宅療養。2024年4月より役所の出先機関(とある施設)でのパート事務職員(公務員扱い、一年契約)。脳梗塞の手強い後遺症と向き合いながらのパートも何とか一年継続し2年目突入。
還暦目の前、ぼちぼちゆる〜く、南国の古い田舎の家での夫婦二人田舎暮らし。
お盆明け、想像以上の忙しさ
世間一般のお盆休みが終わり、来館者は一気に増えた。
夏休みも終盤、親子連れ、学童向けイベントの団体客が押し寄せる、
宅配業務での外出も重なる、いっぽうお盆ウィーク直後で休暇を取る職員が増える。
結果、最少人員での対応に追われ、息つく間もない5日間だった。
さらに天気は、前半は災害級の大雨、後半は蒸し暑さ。
体も気候の変化についていけず、連日の汗と疲労でぐったり。
お昼休みの読書タイムも、力が残らないほどだった。

(お昼休み、手作りサンドイッチを食べ、読書タイムで気持ちを切り換える)
体重管理と通院の日
忙しさの中でも気になるのが体重だ。
かかりつけ医から「70キロを守るように」と厳命されている。
義父の初盆での会席料理がきっかけで胃が広がり、増えてしまった体重。
通院1週間前でも0.8キロ超過しており、正直焦った。
だが、仕事の忙しさが幸いしたのか、通院前日には70.2キロ。
「これなら何とか許してもらえるかな」と思いながら診察に向かった。
医師の言葉と受け止め方
さらに当日の病院測定では体重が69.9キロ。ギリギリ合格だ。前回は3ヶ月前。
医師は、いつものように淡々と症状を訊ねる。
「痺れや痛みはどうですか?」
「強弱は日替わりです」と答えると、先生は軽くうなずく。
後遺症が奇跡的に消えることを期待しての質問ではない。
新しい症状が出ていないか、再発の兆しがないかを確認しているのだ。
血圧も安定しており、「この調子で」と3か月分の薬を受け取った。
最初から「後遺症は薬で治るものではない」と言われている。
突き放した言葉のようでいて、実は医師なりの誠実さでもある。
その言葉どおり、過度な期待を抱かず、しかし「治してみせたい」という思い(治らないという定説に抗ってみたい)も秘めながら、私は日常を積み重ねている。
仕事がリハビリになる理由
後遺症を抱えつつも、役所の出先機関でのパート勤務を続けている。
ありがたいことに、採用時の上司から「リハビリのつもりで無理せず」と言われた。
その言葉を支えに、仕事が「リハビリ」になると思って続けている。
病院でのリハビリ訓練(短時間のカリキュラムを組み安全を考慮した繰り返し運動、基礎運動)とは違い、仕事は、解放空間での実践的リハビリだ。
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頭を使い、体を使い、状況に応じて反応する。
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一日7時間勤務、長距離走のようにペース配分を考えないと持たない。
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職場の仲間や不特定多数の来客と会話、コミュニケーションを取る。
その一つひとつが脳や体への刺激になっている(はずだ)。そうして、社会生活に適応していく(大人の健常者がふだん何気なくやれていることだが)。
もちろん不得手もある。重い荷物や高所作業はできないし、物覚えも良くなくて(加齢もあるけど)仕事を覚えるのも一苦労。
それでも、職場のさりげない心遣いや協力、理解があるおかげで、約1年半働き続けられている(健康的な理由での突発休暇をせずに)のは幸運だ。
後遺症とともに歩く
顔のしびれ、脚の痛みや冷えは治ってない、治る兆しも余り見えない。
長い目で見て、日々の強弱に付き合うしかない。
それでも、仕事を続けることが脳と体に刺激を与え、
いつか状況が変わるかもしれないという希望につながっている。
脳梗塞の狂想曲は、まだ続く。
だが、仕事と暮らしのリズムの中で、小さな前進を積み重ねていくしかないのだ。
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