ワレンベルグのパート生活(脳梗塞の狂想曲)

ワレンベルグ症候群(脳梗塞の一種)の後遺症に抗いながら再就職、パート勤務

線状降水帯 初盆 戦力外通告? 脳梗塞の狂想曲

概要

8月中旬 お盆の季節に入る、水曜8/6〜8/11の月曜まで、2日の休みを含むパート勤務のウィーク。今日12日は施設休、義父の初盆法要(戦力外通告)。
心静かに亡き人をお迎えしたいこの時期に、強烈な線状降水帯が8/8から日本各地を襲った、特に九州、鹿児島や熊本など被害は甚大だ。何せ500ミリ(24時間雨量)を越えたところもあって土砂災害、水害で犠牲者もでている。命は助かっても民家や農作物に大きな被害が出ている。また浸水などの損害はなくても、断水や停電等も起きてしまっていて、お盆のこの時期、お気の毒としかいいようがない。

 

2022年大晦日脳梗塞(ワレンベルグ)で入院4ヶ月、本家ブログはこちら脳梗塞 ワレンベルグな日々。
退院後しばらく自宅療養。2024年4月より役所の出先機関(とある施設)でのパート事務職員(公務員扱い、一年契約)。脳梗塞の手強い後遺症と向き合いながらのパートも何とか一年継続し2年目突入。
還暦目の前、ぼちぼちゆる〜く、南国の古い田舎の家での夫婦二人田舎暮らし。

先週8/5(火曜)からの1週間を振り返る

8月 お盆の季節に入る、今日12日は施設休、義父の初盆の法要だ。
心静かに亡き人をお迎えしたいこの時期に、強烈な線状降水帯が8/8から日本各地を襲った、ここ鹿児島も500ミリ(24時間雨量)を越えたところもあって土砂災害、水害で犠牲者もでている。幸いにも我が家は難を逃れている。

そんななかの仕事は、火曜スタート8/5〜は個人休から始まった。天気が良かったのはこの5日まで(嫁も休みだったのでイオンに付き合う、この日までが暑かった)

で、翌日から一気に下り坂の天気、そして8日は日付が変わってから大雨。
8月9日(土曜)の休みをはさみ、水曜8/6〜8/11(月)までの勤務だった。

今週は天気の心配をしながら、イベント対応に追われた週だった。
そして仕事は何とか昨日までに無事ヤマ場を越えた。
今日8/12 施設休、嫁の実家で初盆を迎えることが無事?に出来ている。

ちなみに、、
公共施設なので、一般企業と違い3,4日のまとまった一斉盆休設定がない。みな、ずらしながらこのお盆の時期の休みを取る。取り方の決まりはないが、だいたい各人がこの夏休み期間のイベントの担当に割り振られているので、練習日や本番日を考慮しながら、「大人の調整」がされている。明日13日も盆休を貰った(初盆の人は配慮される)

ただ、例月に比べれば勤務(人員)に余裕がない月である。先月までの休職・退職者の補充はまだ無く、加えて時期的に休日取得者が多いので、出勤者が少なめになる。

免疫力が無い自分は、普段に増して体調をしっかり管理し、勤務日に穴を開けないことはもちろん、諸先輩に少しでも近づこう、一人前戦力になろうという2年目である。

そんななか、8/8は、朝まで眠れず大変だった。スマホ防災無線が何度も避難勧告を出していたし、市内は、避難所が数カ所開設されていた。
義姉を空港まで迎えに行った嫁も、道路の寸断、渋滞など大変な目に遭った(記事)。

その日、自分は遅番勤務。高台にある施設、雨天だが通常どおりの開館(笑)。仕事は19時までだったので、帰りの自宅までの夜道を少し心配しながら帰った。

鹿児島は場所によって被害避難状況は異なっていた。その被害が分散する鹿児島地域の全容を伝え始めた矢先、再度の線状降水帯が発生、昨日今日と熊本を中心とした河川氾濫の甚大被害の報をテレビが伝えている。
水没の家屋を前に、いま何も考えられない、最悪のお盆だと嘆く被害者が気の毒だ。

義父の初盆を迎える、合同法要の古寺で

朝からテレビが熊本の被災地、泥水が上がった田畑や泥水に浸かり立ち往生している車の市街地の状況を映している。ここ鹿児島は、朝から晴れていた。

9時過ぎに部落のお寺へ嫁とクルマで向かう。初盆の合同供養が営まれる。
待ち合わせた義妹は車で来たが、一人だった。義母と義姉(空路やってきている)を家に置いてきたのだといった。義母が今朝急に体調を崩したとのことで大事を取ってのことだった。せっかく義姉は遠路来ていたのだが、急遽、義母と実家で留守番(早めに判れば自分が代わりに義母を実家で留守番がてら看ることもできたのだが)。

合同供養は、古いお寺の開け放しの本堂(エアコンなし、扇風機のみ)で30分ほどで終わったが、お盆の流れる汗を拭いながらの、修行のような法要だった。

狭い畳敷きの本堂には50人程が窮屈に座っていた。そのお寺はお世辞にも綺麗でない。年季が入っていて壁や戸口、畳は汚れ、撓み、浸みだらけである。畳の間から虫でも出てきそうだが、お子様用の小さなイスが並べられていてそこに座るので、まだマシだ(ということを思ってしまう自分はバチ当たりだが)。
道路から2メートルほど嵩上げされた地面に立っており、そこに至る通路も段差が20センチほどある急な階段で、足腰の悪い老人や自分のような病人にとっては、上り下りに緊張を強いる。それでも部落唯一の昔からの寺である。

寺から戻り、墓に寄ってから実家に着くと、お寺に行ける服装で義母が義姉に支えられて居間で待っていた。申し訳なさそうに、小さくなっているように見えた。
嫁が気にしなくていいからと明るく声をかけていた。
居間にはエアコンがかけられ、そこに続く和室、その奥の仏間にかけて、送風機で冷気を循環させていた(あの暑いお寺に行かなくて正解だよと思うのである)。お寺の後に、この実家での親戚の集まり、法要会食の準備は出来ているのだ。

認知症の義母

今朝も、朝まではお寺に行く予定で着替えまで終わっていたが、イスから立ち上がれない、呼吸が粗いなどの症状があり、急遽取りやめたとのことだった。

義母は、線状降水帯の8/8の日に、独り実家で留守番中に、防災無線と携帯の避難通報でパニックに陥り、日中、家を飛び出したところで転んでしまい、訪問看護の人が発見するまで数時間、外でうずくまっていたらしい。大きなケガはなかったのが不幸中の幸いだが、そこを境に食欲が落ち、体調も低下しているのだろう。
自分も久しぶりに会ったが、今日は、目線がどこかぼんやりしていて、元気がないという印象をうけた、鬱な状況に入り始めているかも知れない。
運動能力にしても、今日はイスから立ち上がるのもやっという感じ。
日によって調子の良し悪しあり、暑さ湿度、気圧、メンタルなど脳梗塞の後遺症と似ている。

実家での法要会食、エアコンで戦力外通告

ほどなく、居間の義母の周りに7,8名の親類が顔を揃えた。賑やかになった。
実家で法要の仕出しの昼食(と一部の男性にはビール)が振る舞われた。そのなかに自分が居る。独りアウエー

仕出しの前に供される団子とそうめんをお腹に入れたあと、男衆と話を合わせていた。そういう相手をする役目が廻ってくる、義父が生きていた頃からだ。
実家が4姉妹の家で、鹿児島に住んでいる婿(男手)が自分だけなのだ。
そして、自分はこの種の宴が余り好きでない。昔は、昼からけっこう焼酎を飲まされたりした。これで度々気分が悪くなった。たぶん、楽しくないと顔に出るのだろう。

遅れてやってきた小太りの伯父さんが、冷えたビールを旨そうにのみながら、部屋に大勢入っていて暑いのでエアコンを強くしたらどうだということで、居間が襖で仕切られて、エアコンの風が強く廻ってきた。 皆が、涼しそうにしていた、一人を除き。

しだいに、頬に異変を感じる自分、こめかみがキューンと冷えて痺れる、痛い。エアコンの風が自分には強すぎる。。

こういう時は辛い。エアコンの風の強い場所、姿勢を変えられない狭い場所、胡座で座っているので右脚(股関節)も辛くなっていたのだ、さりげなく隣の台所へ逃げる。

台所は、エアコンがなく、さらに給湯や煮炊きの熱が籠もっていて、汗が一瞬で噴き出すサウナ状態であった。それでも、冷えよりはマシなのだ。こめかみをさする。
イスに座り一息つく。この症状、健常者には理解不能だろう、後遺症は厄介だ。

暑がりの嫁は、そこで汗だくで、義姉妹らと仕出しや飲み物を隣の居間に出したり忙しくしていた。申し訳ないな、邪魔になってはいけないと思う。

台所で座り、こめかみをさすりながら痛みを紛らわそうとスマホをいじっていると、
もう帰っていいという(戦力外通告)。お相手のお役御免の脳梗塞持ちである。

結局、調子が戻らない自分は、13時を過ぎて、歩いて自宅に帰ることにした。
陽射しの中、10分ほど歩いて帰宅。手を付けないで持ってきた仕出しの折を冷蔵庫に無理矢理突っ込んで、汗だくになった衣類を洗濯機に投げ込んで、自室のベッドで横になった。顔の痛みはしばらく続いたが、疲れていたせいもあり眠気がきた。

嫁は4時過ぎに帰宅、自分はそこまで死んだように眠っていた、いったん起きたものの、嫁が疲れ切って寝たあとにまた寝てしまい、5時過ぎに目が覚めた。

嫁も起きてきて、二人で冷蔵庫でキンキンに冷えた仕出しを夕食として食べた。
(食い過ぎた)

おわり