概要
三連休の火曜休みの翌日、水曜7/23〜7/28月曜までの短め、パート勤務の一週間。
8月は目前、台風は目の前、だがやっと長雨とムシムシから解放されそう、でも暑い。

久しぶりの青空、大きな木陰の舗道に、鮮やかな緑の苔がびっしり。雨が長かったからか。
月曜の休みの朝、いつもの散歩路。
家に戻り、FMラジオをつけると、ゴキゲンな音楽、月の裏で会いましょう🎵
2022年大晦日に脳梗塞(ワレンベルグ)で入院4ヶ月、本家ブログはこちら脳梗塞 ワレンベルグな日々。
退院後しばらく自宅療養。2024年4月より役所の出先機関(とある施設)でのパート事務職員(公務員扱い、一年契約)。脳梗塞の手強い後遺症と向き合いながらのパートも何とか一年継続し2年目突入。
還暦目の前、ぼちぼちゆる〜く、南国の古い田舎の家での夫婦二人田舎暮らし。
先週7/23(水曜)からの(短め)1週間を振り返る
いつもと違い、水曜から始まる勤務の違和感?
7/21(月・祝日)のあとの、22日(火曜)の施設休み、水曜から始まった勤務の週。
火曜始まりが水曜始まり、曜日が一日ズレただけだが、何か違和感がある一週間。
土曜に一日の休日を挟んで日曜まで勤務、今日月曜まで4日勤務。これに対し先週の勤務が、休日を挟んで3連勤が2回、すなわち6日働いた週だったから、短いどちらかというと楽な週だったはずだが、職場の雰囲気に違和感を感じる。
この一週間の勤務は、イベント関係の突発な業務に巻き込まれる日もあった。
が、そういう突発的な変化ではなく、漂っている雰囲気に遅まきながら気づいた。
7月初からの慢性的な追加業務(休職に入っている方、そして7月末での退職予定の方の休みのフォロー)に時間を割かれる上司や一部職員、混乱やその確認が続き、そしてそれがこの月末までつづいている。末席の自分ですら、職場の違和感、去年の今頃とは違う、何か余裕の無さ、を感じざるを得ない。悪いことが重なる。
7月の勤務表が決まってからの欠員欠勤で、業務のやりくり、いろんなフォローが続いている今月(鈍感な自分、夏期休暇取得あけだったこともあり、気づくのも遅いが)。
来たる8月(の勤務表)は、学校夏休み向けのイベントも重なり、自分もかなり忙しくなるのことを頭に入れて、頑張るしか無い。
月の裏で会いましょう
まぁ仕事のことは、明日以降、仕事の時に考えるとして。
今日、月曜の休みは家でのんびり。ラジオ、読書、たまった録画の視聴と消去。
ラジコ でなくラジオ(FM放送)を聞いていると、「月の裏で会いましょう」という懐かしい曲を、東方神起というグループがカバー、焼き直して歌っていて、なかなかいい。
オリジナルは『オリジナル ラブ』(? 少しややこしい書き方になってしまう)
という昔のグループの楽曲だが、こちらも若かりしボーカル田島貴男のギラギラした、キレッキレの歌声とサウンドがいいかんじ、才能がある。
1991年のシングル曲だそうだが。原曲自体が古さを感じさせない。
たまたま、少し前に聞いたFMのユーミンの番組でも、その昔の田島孝男との出逢いのことを彼女が語っていたのを思い出した、まぁおそらく30年以上前の話だろうけど、
すでにスターであったユーミンが駆け出しの田島氏と出逢い、新人らしからぬ凄いオーラを感じたような話だった?かな。まぁ、駆け出しの時から才能ほとばしるヒトだったのでしょう。
SNSなど無い時代に、テレビやラジオで、ぱっと流れた一曲だけで、その才能が群衆を動かすヒトが居た時代は、少なくとも今より不便だけど、いい時代だったと思う。
(いわゆる”ネットの拡散”が無い時代、にその才能、実力で多くの大衆の財布のヒモを緩めて、レコード店などに走らせてしまうヒト、”ぽちっとDL”が無い時代のヒトだ)
まぁ、ラジオ(FMのチューニングを合わせないと聞こえない面倒さのある)デバイスが好きだったり、本(図書館で(無料で)借りて、手垢のあるページをめくる手間が好き)など、休日は一人、いわゆる、手間が掛かるオールドメディアに浸るのが好きだという、
枯れた還暦間近のおっさん のたわいもない話なのだが。
読書は 中山七里さん
ちなみに今読んでいる本は、相変わらず、中山七里さんだ。
新絡婦(じょろうぐもと読む)の糸、はいわゆるSNSなどのネットでの拡散、デマ、いじめなどによる犯罪の物語だ。LINEをしたことがない自分は、なおさら、このネットの怖さ、SNS時代の危うさ、うさんくささに敏感だ。
なぜ、新絡婦なのかは、追々と。まぁ先を急がない。
先に読んだ。鑑定人シリーズは面白かった。いわゆる、法廷ミステリーのジャンルなのだが、猟奇殺人の裁判の話。ドンデン返しはさすが。
土曜の休み、妻は遠くのパン教室。
一昨日、土曜の休みも一人だった。嫁は休みだが、パン教室に朝から出かけた。
一人休みの時は、基本何処にも出かけず家に居る(自分の部屋に籠もる)ことが多い。
居間に行くと無駄な電気を使ってしまったり、テレビを点けてしまって、ダラダラとくだらない番組を視てしまう(視てしまった後の悔しさ)のがイヤなのだ。
今日、月曜も嫁さんを朝送り出して、近所を散歩してラジオしかない(テレビのない)自室で極力すごしている。
(気分転換に)クルマでちょっと出かけるとか買い物とかはしない。
買い物は前日の勤務の帰りに済ませてしまう、必要な物だけを買って帰宅。その日に終わらせる。『休日に一人出かけるための理由』が無くなる。
安く買い物出来る店が勤務先近くにある(家から10㎞ほど離れている)ので、勤務帰りに済ませてしまう。効率的であると同時に、休日に改めて外出するためのガソリン等化石燃料を使わない、外出すればついつい買ってしまうという、無駄な出費もしない。

嫁さんが戻ってきた。残り物、貰い物の西瓜、パン教室で作ったパンが夕食に並ぶ。(しばらくは、成果物であるパンの食卓がつづく)
毎月のパン教室、パンを自ら作ることもさることながら、遠くの知り合いと会って直接いろんな話が一日出来ることも月一の楽しみのようだ。
ここは彼女の出生地だが、学校卒業後いろいろ疎遠になり、田舎に戻ってきたが残念ながら気を許せる友人があまり居ない、田舎のあるあるだ。
田舎のパート生活な暮らしは、無駄なことや削れる出費を出来るだけ削ぐ一方で、これはという愉しみは残しておく。自分は逆に出不精だが、お互いあまり干渉しない。
恒例の朝の散歩、後遺症の調子は?
ずっと雨がちな天気が続いて、久しぶりに晴れた月曜休み。朝の散歩道。

フラつきは感じる。なくなることは無い。ただ、それが歩くことを妨げるほどではない。ぱっと見、普通に歩ける。足を引きずるわけでもないし職場でも普通だ。
そして、また再開したのだがすこし駆け足を入れてみたり、早足をしてみたりする。しかしまだまだだ。
普通に歩けるが、重たいモノを抱えて歩こうとすれば、怪しくなる、歩幅が小さくなり、フラつく。そして未だ『小走り』を含めて、走ることができない。いわゆる協調運動が未だ不十分だ。体がバラバラな動きなのだ。
(走るフリや駆け足とか、近い動作はできるのだが、実際に地面をけり、着地し、交互にバランスをとりながら連続的に体を前に推進するという当たり前の動き、書くとやややこしいが、うまく体がスムーズに動かない、要はちゃんと走れない)
後遺症であるこのフラつきと、もうひとつ、顔左(こめかみや左目尻)の痛みや右脚の太もも内側の筋肉痛やハリ なども無くならない。これもまた別ブログ(脳梗塞ワレンベルグな日々)を通じて、その症状の経緯や変化などをつづっていこうとおもう。
脳梗塞の狂想曲はつづく。


