概要:
帰省のための長期(有給利用)6連休が17日に終わり、金土日と仕事が待っていた。
初日金曜は、支所での1人勤務、もう慣れているしお客さんがそれほど多くないので、休み明けの勤務をここにしてくれた責任者に感謝。そして今日19日は本店で時差勤務、週末土曜はお客さんも多く、なかなか忙しかったが無事勤務を終えた。
2022年大晦日に脳梗塞(ワレンベルグ)で入院、本家ブログはこちら脳梗塞 ワレンベルグな日々
結果、無職となり再就職が果たせたのは、今年2024年2月14日から、そして3月末で契約満了。
4月より役所の出先機関(とある施設)でのパート事務職員(公務員扱い、一年契約)。
11日夕刻から17日までの、北陸帰省のための長期(有給利用)6連休が終わった。
墓参りとか、9月に亡くなった叔父の件とか、こなしながら久しぶりの帰省。残念ながら直前に義父が旅立ったので、嫁は鹿児島に留まることとなったが、まぁ良かったかもしれない。
何せ往路では船酔いや大渋滞で難儀した。やはり北陸と富山は遠いのだ。
休みの最終日17日の9時過ぎにはフェリーが鹿児島に着き、港から会社(本社)に立ち寄ってお土産だけ置いて無事帰りましたと挨拶して帰宅した。何故なら18日は支社での勤務の直行直帰の予定だったからである。11日に勤務変更がされた。
北陸から大阪までの400キロの1人運転、そして大阪から鹿児島の、言わば夜行船旅の往復は、それほど疲れを残していなかった。しかし責任者は、長期休暇と長距離移動を配慮してくれたのだろう。
18日、朝、薄曇り。支所に直行し、始業開始の電話連絡を本社に入れたところ、責任者が電話に出たので、長い休みのお礼や実家の墓参りなどが出来た事などを話させてもらった。17日にお休みされていたとのことでお土産の礼を言われ、まぁ支所でゆっくり仕事して下さいと言われた。
支所勤務はもう4回目で、1人勤務も慣れている。しかし、あまりゆっくり出来なかった、いつもの倍以上のお客さん、そしてお客様との会話、支社への配送物の処理など、意外とやることが多い日となった。さらに本社の責任者から11月勤務予定について、話があったりした(これは休み中に少し考えていたので、すぐ電話で回答できた)。
前回までは、多少時間を持て余し気味の7時間勤務だったが、あっという間に終業の5時となった。終業の電話をしたところ、また責任者が出てくれて、お疲れさまでした、お土産を美味しく頂いてますと言われた。外に出ると綺麗に晴れていた。
19日、今日土曜日、本社での時差勤務。
曇りだったが家を出て会社に着く頃には土砂降りに変わっていた。傘が効かないような降り、駐車場から施設建屋の裏入口までの数十mでびっしょり濡れた。
幸先悪い朝だったが、元気に挨拶して中に入ると、すでに勤務に入っている同僚数名から、お土産美味しかったです、と声かけられ、いえ、長い間休み頂きまして有難うございましたと、反射的に返答しつつ、そのやり取りで自然と職場に溶け込めて行けた。
豪雨の影響か、お昼過ぎまでは、土曜にも関わらず客足は鈍かった。そして時差勤務もあって、本社でしかできない業務が、だいぶ捌けた。長期休暇で幾分溜まっていたり、滞留したり、隔週の提出物の準備があったりだったが、だいぶ追いついた。
しかし夕方前に急に天気が回復、晴れ間が覗き、あっという間にお客さんの波が何度か来て、閉館間際までバタバタした。
結果、いつも通りの土曜の混雑だった。お客様への対応も、たまたまややこしい問い合わせが1、2件あったが、別の人が対応してくれて無難に終わった。
総じてついていた、朝雨に濡れたあとは。
明日、日曜も通常勤務の予定だ。日曜はイベント絡みで、だいたい出勤が多い。
この土日は、嫁は休み。私に弁当を持たせる為、早起きしてもらって申し訳ない。義父の供養で明日から毎週日曜は実家なのだそう。来月末の49日の法要まで続くのだそう。
49日だけでも参列しないといけない。そもそも、葬儀の翌日に勤務し2時間有給を取り、そのまま実家帰省の途についたバチ当たりなお婿どん、と陰口を叩かれているかもしれない。
帰省の疲れというのは殆どないのだが、帰省時に、ややふらつきが大きくなった。おそらく二階生活とか、階段の上り下りが結構、脳には負担というか、刺激というか、なのだ。
こちら鹿児島には自宅、実家、勤務先などほぼ平屋なので、こちらに来ると調子は戻る感じ。
まぁバランス改善の脳へのアプローチは続けないといけない。
顔左の痛みが、ここ一月ほど強くなっている、これはおそらく気温の変化、涼しくなってきて、エアコンの風が時にやや冷たく感じる頻度が多いことによるものと思う。これから寒さに向かっていくので、冷やさないように工夫しないといけない。