ワレンベルグのパート生活(脳梗塞の狂想曲)

ワレンベルグ症候群(脳梗塞の一種)の後遺症に抗いながら再就職、パート勤務

長期連休直前の忌引休暇、割り切り、ワレンベルグのこゝろ

概要:

帰省のための長期(有給利用)連休が控えているなか、8日火曜、午前に義父は実家で静かに逝った。妻姉妹、義母に見守られて。
時差出勤中だったが、亡くなったとの妻の電話で早退し、そのまま忌引休暇、通夜の9日、10日の葬儀までの予定。
11日は出勤し夕方から移動、自分1人でも帰省計画を変えないと決めてはいたが、まさか葬儀後の帰省になるなんて。
複雑な心境だが、でも割り切るしかない。

2022年大晦日脳梗塞(ワレンベルグ)で入院、本家ブログはこちら脳梗塞 ワレンベルグな日々
結果、無職となり再就職が果たせたのは、今年2024年2月14日から、そして3月末で契約満了。
4月より役所の出先機関(とある施設)でのパート事務職員(公務員扱い、一年契約)。

11日夕刻から17日までの、帰省のための長期(有給利用)連休が控えているなか、8日火曜午前に義父は、実家で家族に見守られながら、静かに逝った。こんな時に帰省なんて、といろいろ意見はあろうが、割り切り。

その日の朝、嫁が出勤する前に実家から妻に電話があり、出勤前に挨拶して行ったほうがいいという連絡、前夜はそこまで切迫してなかったが、深夜から早朝にかけて変化、迎えが早めにきたようだった。妻は実家に立ち寄ったあと一旦出勤したが、すぐ早退したらしい。

8日火曜日休館明け、自分は時差出勤が始まった矢先、妻からの訃報の電話を受け、責任者に相談、午後にいったん早退させてもらった。自分としては、先週土日にかけて作った資料の修正と配布準備が気掛かりな出勤だったのだが、でも責任者采配で引き継ぎがなされ、早く帰ってあげて下さい奥さんのお側に、と責任者から諭されて帰宅した。

帰宅後、実家で葬儀会社との調整があり日程が確定し、翌日9日の通夜、10日の葬儀になった。帰省の前に葬儀に出て最後の別れが叶うのはいいが、長期休暇取得前にさらに急に休みを取る罪悪感。
通夜葬儀の2日間を忌引休暇で、11日は勤務予定通りの出勤と夕方2時間有給、その翌日からの長期休暇はそのままにしたいと夕刻前に会社に電話した。責任者の確認、許可を得たが、忌引は3日取れるのでもし都合が悪くなったら言ってくださいとのことだった。ありがたい。

施設勤務のシフト勤務の調整、ただでさえ我儘な長期休暇の間の勤務シフトを協力、調整して貰っていた上に、急にまた忌引の2日追加休暇のシフト調整だ。仕方のないことだが申し訳ない気持ち。しかし、こうなった状況では、帰省休暇に入る前に義父を送り出すことをきちんとするしかないのだ。

昨夜8日は、仮通夜。実家にて、家族が夜を通して亡骸とともに。蝋燭の火が絶えないように。そして実家での朝を迎えた。
きょう私たち家族は、午前中は近親者の弔問対応、午後3時からは、実家から本通夜と翌日の葬儀をする会場へ棺とともに移動する。同時に、関西から嫁姉妹の家族が関西から空路で駆けつけ、それを自分が空港でピックアップし通夜の会場まで行く予定だ。

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