ワレンベルグのパート生活(脳梗塞の狂想曲)

ワレンベルグ症候群(脳梗塞の一種)の後遺症に抗いながら再就職、パート勤務

受け容れつつ抗う、脳梗塞から21ヶ月

概要:

9月第3週。とんでもない大雨が降った、古い我が家はひとたまりもなく雨漏り。
こういう運命、受け容れるしか無い。。
仕事も同じ、脳梗塞、後遺症も同じ。いろんな不運はあるが運命、結局は自分が全てを負う。
運命を受け容れつつ、ときに疑い、ときに抗う。

彼岸花百日紅、名も知らぬ花

2022年大晦日脳梗塞(ワレンベルグ)で入院、本家ブログはこちら脳梗塞 ワレンベルグな日々
結果、無職となり再就職が果たせたのは、今年2024年2月14日から、そして3月末で契約満了。
4月より役所の出先機関(とある施設)でのパート事務職員(公務員扱い、一年契約)。

昨日9月10日(火曜)早朝、天井の底が抜けたようなものすごい雨で目覚める。
屋根全体を震わすようなものすごい雨音は数分ほど続いた。台風10号でも、こうはなかったのだが、とビビる。
雨が収まり、静寂後、ぽと、ぽとっと、滴が落ちる音、部屋の中から聞こえる。
暗がりの中、ベッドから起きて、音のする方、押入を開いて照らすと天袋が濡れていて、そこから雨水が滴って、置いてある段ボールを打ち濡らしていた。昭和の時代ならまだしも、、令和のAIだ、自動運転だ、という時代に、雨漏り、だなんて。受け入れ難き不運。

自分の部屋は、(元の持ち主が昭和の頃に)後から増築しており、無理矢理車庫の屋根の下に繋いでいる、その下は押入部分になっていて、そこから漏っている、勢い激しく行き場の無い雨水がちょうど屋根のつなぎ目の低くなった部分に溜まって溢れてしまい、そこから逆流し内部に入り込んだようだ。少しくらいの強い雨なら溜まること無く、流れて雨樋で排水されるのだが、今回の雨量はその許容を超えたようだ。

日頃の自分らのメンテも悪く、何せタダで貰ったような家、建て方に問題が少なからずあるが、その人はこの世にいないし文句の言いようもない。
当然、不具合やその不具合による不利益は、引き継ぐもの、即ち自己責任だ。天や人、過去を恨んではいけない。

自分はそのまま蔵点休館中の施設への出勤日、嫁は休みだった。雨の中、雨具に身を包み、雨漏り付近の屋根に上がろうとしている妻、自分の目で現実を見ておこうとする妻をクルマの窓から見つつ出勤した。

雨の中、庭の彼岸花

仕事は、蔵点関係はほぼおわり、各自、自分の業務の再開。皆がそろそろいつもの仕事に戻らないとという矢先。
さっそく自分の新しい業務で、休館中に止まっていた業務でチェック抜けがあり、リカバリーとなる。引き継ぎ元にお詫びしながら対処を伺い修正作業や確認していく。他の作業する何人かの手が止まる、
格好悪いが休館の間に止まっていた自分の確認不足と反省する、真摯に優先順位一番で対応していく。
蔵点休館の特別期間は、皆が自分の仕事を止めて割り振られた業務にあたる期間だが、自分の担当業務が止まっても仕事が回るように気を配るのは自分しかいない、自分の責任。。

午後は、システムの説明会の後、別の担当から、「宅配」の業務の見習を指示され、社有車で外出。急な話だったが、分館配送の教育係であったひとからの依頼だった。
分館への配送に加え、幼稚園への団体向け配送業務が追加になったばかりだったが、足の不自由な個人宅へ選書して集配する業務なのだとのこと。もしかしたら、内部業務のミスを見かねて外へ連れ出してくれたのかもしれない。今日は外回りも気晴らしにいいかもしれない。
さっそく土曜から一軒、宅配を始めることになりそうだ、やれやれと思いつつも気にかけてくれた気持ちに感謝する。

お昼休みに嫁からメールにて、台風等で屋根に木の葉や火山灰などが残っていて、雨樋への誘導路をやや塞いでいたのを午前中に除去したとの一報があった。構造的な欠陥はあったにせよ、単なる大雨によるものではなく、メンテを怠ったことも一因であったわけだ。放置してあった家を自分の意思で引き継ぎ、ほぼただで住ませてもらってるんだから、今起こることは受け入れないといけない、引き継いだ後は自分の責任、そういうことだ。
脳梗塞を患わなければ、北陸の実家で暮らしていれば、こんな雨漏りなんて!とか、慣れない仕事に就いてしくじって!と思ってもしようがない。今を受け入れて、次どうするとかこの後どうするかが人生だ。

3時のお茶の時間も、自分を含む数人はパスして仕事を継続、もう蔵点業務や力作業はほぼ終わって、いつもの仕事にほぼ戻っているので、抗うわけではないが、お茶の時間を取って体を休めて、という蔵点特別メニューは自分にはもう要らない。溜まってきた仕事を少し前倒しで片付ける、5時の定時を少し過ぎて施設を後にする。

帰宅すると、嫁は留守。近くの義父母の家に夕食などの世話をしに行っているのだろう。しかし、義母の急な認知症でこういう介護事情になるとは、自分は正直思って無かった。思いがけないことは案外起こるのだと諦める。起こった後にどうするかだけ。
着替えを済ませて夕食の準備に入る。脳梗塞で料理ができるようになったこと、脳梗塞の前は母に毎日作って貰っていたのだから、料理なんてしたこともなかったから、人生何が起こるか何が正しいか分からない。

まずはご飯を炊いて、その間に野菜サラダと、今日はお得意のトマトスパイス鶏ひき肉カレー、に最近の技、あさり入りを作る。アサリは業務スーパーの冷凍のむきあさりだが、入れると味が複雑化する。アサリが主張し過ぎると、貝の独特の風味でカレーじゃなくなってしまうようなので、薄味傾向にしつつ奥深いものを狙っている。

鶏ひき肉が、わりと淡白な味、そこにあさりの意外性、絶賛お試し中だが、嫁にはイマイチウケが良くない。自分もまだ核心をつけてないなという点は受け入れつつも、また作ってみる。

余った唐揚げを添えて