ワレンベルグのパート生活(脳梗塞の狂想曲)

ワレンベルグ症候群(脳梗塞の一種)の後遺症に抗いながら再就職、パート勤務

溶けるような暑さの中の試練、脳梗塞から19か月目

暑い。35度超えが土日と続いて、ようやく休館日月曜に入った。仕事に疲れた。

とくに日曜は、ここ最近なくボロボロだった、暑さの影響だけでなく。。

2022年大晦日脳梗塞(ワレンベルグ)で入院、本家ブログはこちら脳梗塞 ワレンベルグな日々
結果、無職となり再就職が果たせたのは、今年2024年2月14日から、そして3月末で契約満了。
4月より役所の出先機関(とある施設)でのパート事務職員(公務員扱い、一年契約)。

土曜の出勤時に、明日日曜の勤務変更とイベント準備の代役を責任者から告げられた。
特に大事なかろうと思ったのだが。

朝から、仕事作業の失敗や8月勤務予定表のことで忠告を受けたりと一日中、指示、指摘を受けて、どんどん萎んでいった。
昼飯も珍しく喉を通らなかった。

 

 

木曜は休みを貰って健康診断(下記No+e)だったが、梅雨の残りのような雨。

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梅雨明けは17日(火曜)だったらしい。しかし、金曜からはものすごい夏の太陽が戻ってきた。南国は陽射しの角度が違う、刺すような日射だ。

脳梗塞に罹りながら復活し、4月からここで勤め始めて三ヶ月を過ぎているが、昨日、日曜は、あれこれと、指示されたり、馴れた作業と思っていたら抜けていたり、ダメ出しされたりと一日中言われっぱなし、自分の仕事がまだまだだ、と思い知らされた。

正直、悔しかった。情けなかった。
(前職ではこんなことは無かった、ただ、前々職では日常茶飯事だったよなぁと)

思い直して、勤務変更とかイベント準備は何とかこなせたし、私の今のメイン、隔週担当の資料作成も終わらせて、チェックの方の机に置かせて頂いて、休み前の最低限はこなした、何とか終わらせた。そしてクタクタになったけど家に5時過ぎに帰った。

家では、嫁さんについ愚痴ってしまう。イケないなと思いつつ、ぽろっと、もうやめたいという言葉まで。

 

三ヶ月過ぎて、いろいろあった。一名の退職の方がでたり、コロナ陽性者がでたり。
日曜も急な休みのかたがおられての勤務変更、代役。更に当日は、午後休暇が一名、そしてこの暑さも重なり、皆がぎりぎりだったし、新人の私を何とかしようとしているのが分かった。これを(上手く)乗り越えていかないといけない。

 

大切なことはすべて日常の中にある。

まさにいま。この仕事が日常として与えられていることに。

大切なことは、(普段の生活では気づきにくい、ごく)日常の中にある(からこそ、そのありがたみを感じること無く、のほほんと暮らして、いつの間にか大切なモノが無くなり、いままで当たり前に出来たことが出来なくなってしまう、失われた日常に気づいても、遅い)試練のような日もあるから、成長させられる、気づかされる。

 

といいつつも、人間だ。

まぁ自分も60にあと数年のおじさん、三ヶ月経って、この頃やっとそこそこ出来てきたと感じてた、ところが日曜に一日に何回も指導指摘されて、ダメ出しもあり、悔しさや情けなさが沸き起こらないわけはない、一生懸命なのに、と心が折れそうになる。

そういうときは、疲れていても、料理だ。気が紛れる。
休みの嫁を差し置いて台所を占領する夕方。

 

得意のキーマもどきカレー

金曜の夕食用にたっぷり仕込んだ鶏挽肉ベースのキーマカレーの残りに、豆類を加えて味変。すこしスパイシーにしてみたら、(見た目はイマイチだが)食感の変化とともに、抜群に旨かった。
じゃがとにんじんのスライスをさっとフライパンで焼きをいれて加えたのも好評だった。料理では褒められた。脳梗塞後の主夫の期間で磨いた腕だ。


さて、月曜、火曜の休みは、まさに脳梗塞で入院が長引いた時のような、落ち武者のように伸びすぎた髪を切りに行って、読書、少しドライブか。